<知識人になるには資格試験はない>
最近はインターネットの発達やツイッターなどのソーシャル・ネットワークによって自由にジャーナリスト以外の市民も政治・社会問題についても発言するようになった。ウォルフレンはこの本(『日本の知識人へ』(窓社))のなかで、知識人というものについて次のように述べている。
知識人になるのは、それほど難しくない。大学の学士号が必要なわけでもなく、技術認定証や職業免許証も一切、いらないし、発表用の論文執筆を要求されない。ある程度の知力さえあればよく、肝心なのは、考える意欲。思考から得たアイデアは、もし変えたいと思う社会環境さえあるならば、それを変えるために利用できる。(同書3ページ)
つまりウォルフレンは、知識人というのは大学を出て、大学、研究所やシンクタンクに所属する専門家だけではないということを言っている。「博識である人とか、硬派ものの記事を書く人とかも知識人であるだろうが、しょせんは役人、もしくはジャーナリスト、もしくは学者でしかない」ということだというのである。
それでは、彼のいう知識人とはどういう人たちのことをいうのか。「知的な誠実さを何よりも尊しとする姿勢」を持つ人のことである。知的誠実さとは「嘘をつかない」「客観的に事実を理解し、その上で、限られた、組織ではなく国民全体の利益を考慮する」というスタンスのことをいう。知識人は要するに政治家、官僚、企業などの権力を監視することが責務であると言っているわけだ。
ところが、実際はそうなっていない。ウォルフレンは、日本では、「監視らしい監視がない代わりに、我々には本質的に宣伝用の日本像が提示される」と述べている。それを可能にしているのは、研究会や資金供与を媒介にした知識人の取り込みだ。原子力業界は今では「原子力ムラ」として批判されている。それは原子力産業や規制当局、そしてマスコミが資金供与のネットワークで結ばれた、一般市民には理解し難い閉鎖的な結社を作っているからだ。日本には原子力ムラだけではなく、安保ムラや増税ムラが存在する。もちろん、反原発運動もムラ社会で成り立っている。
ウォルフレンは日本の特徴としてこういった村社会を槍玉に挙げているが、別に日本に限ったことではない。アメリカでも業界組織はロビー組織を作り、金の力で政治家の発言を買う。ただ、日本の場合と違って、アメリカではまだ多かれ少なかれデータに基づいた議論が行なわれ、経済合理性で判断が行なわれる。そこが日本の村社会と欧米のロビー文化と違うところだろう。
<プロフィール>
中田 安彦 (なかた やすひこ)
1976年、新潟県出身。早稲田大学社会科学部卒業後、大手新聞社で記者として勤務。現在は、副島国家戦略研究所(SNSI)で研究員として活動。主な研究テーマは、欧米企業・金融史、主な著書に「ジャパン・ハンドラーズ」「世界を動かす人脈」「プロパガンダ教本:こんなにチョろい大衆の騙し方」などがある。
※記事へのご意見はこちら